さてインド旅日記は今回で最終回になります。
最後はダージリンにあるチベット難民センターのことと、インドの旅を通して感じたことをお伝えします。
【チベット難民センター(ダージリン)】
Tibetan Refugee Self Help Centre, Darjeeling
1959年、中国のチベット侵攻から難を逃れてここダージリンに10数人住み着く。
1964年、アメリカ人から土地の提供を受けて、チベット人が自助独立をするために職業訓練などを行っている。インド各地に同様の自助センターがあり、織物・工芸品などを制作、販売している。
難民センターのゲートから全体を撮る。
難民センターの子供たち。コルカタの子供と比較すると何となく穏やかな目つきに感じる。
難民センター 「みなし児の家」
難民センターの病院
【インド旅行(後記)】
インドは広い国土です。そして、日本では想像もつかない人種、民族のるつぼです。因みにインドの紙幣は、15の言語(全て公用語です)で額面が記されています。多言語国家であることが分ります。画一的に「インドはxxxだ」などと言えません。私が旅行したダージリンもネパール系、チベット系、イギリス系などなど人種が混ざっています。だからこそ「Incredible India」と言えるかもしれません。インドを知るのは並大抵ではないのです。私の旅行記はほんのわずかに其の端っこを見たにすぎません。そこのところを充分踏まえて下さい。
これで「インド旅行記」は終わります。
全て現地で撮った写真です。多少筆者の独断と、好みで撮った写真もありますが、お許し下さい。皆様のご興味に添えましたでしょうか?
おそらく一般の情報では得られないビビットな写真であり、お話だったのではないかと思います。
真実はもっともっと詳しく説明しなければ分らないでしょうが、「インドとはこういう国なんだな~」と言う感じがつかめて頂ければよいと思います。そしてダージリンの茶園、人々に思いを馳せて紅茶を飲んで頂ければ幸いです。
またお会いする日を楽しみに!(完)
(旅人・寄稿:紅茶専門輸入商社 I氏)